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    浮き彫りになったパートナーシップを見つめて

    • 2013.06.03 Monday
    • 22:12
     一概には言えませんが、私たちの周りでは、放射能から子どもを守る母親の活動に対して、なぜそこまでやるのかと、制限をされてしまう場面が多々見受けられるようになりました。

    私たちのやっていることは、主婦の範疇を越えていると言われるかもしれませんが

    それだけのことが起こっているからであり、これは他にやる人がいないから、私たちがやるしかないという、苦渋の決断のことでした。

    私たちは、この問題に真剣であり、今、何を差し置いてもやらなければならないことだと思っています。

    原発事故が起こったというのに、いまだに子どもたちは守られることなく放置されており、早くなんとかしなければと私たちは焦っているのです。

    責任の所在も追及できないまま、原発事故の被害については、被曝県である福島県自らも大したことはないと言っており、風評被害という言葉で蓋をしようとしています。

    それに対して納得して受け入れるかのように、六魂祭には地元の人々も出かけて行ってしまったようです。

    全国のニュースでその姿がとらえられ、よかったと話す姿をクローズアップされ、もうもとに戻ったというイメージを植え付けられていくその様子を、悲しみの目で見つめる存在はどれくらいであったでしょうか。

    『今こそ福島へ』

    なぜ?

    復興を応援したいという思いのもとであれば、なにをもって復興と言えるのかを、根本から考えて頂きたいのです。

    目に見える復興は、本当の復興ではありません。

    子どもの未来が守られなければ、その復興は幻に過ぎません。

    福島はもう大丈夫だと言ってしまったら、大丈夫ではないので対策を求めたいという、子どもを守るための声は消されてしまいます。

    目に見える復興を応援することが、子どもの未来を奪うことに繋がっているということを、知って下さい。

    そしてその先にあるものは原発の再稼働であるということを、理解できている人は、どれほどいるのでしょうか。

    原発事故は大したことはない。

    そうしてしまいたい思惑を、福島県民自らが受け入れてしまっていいのでしょうか。

    それとこれとは違うかもしれませんが、私たちが子どもを守りたいという思いには、二度と同じ過ちを繰り返してはならないという、平和を願う思いが含まれています。

    原発事故後、母親は本能でいち早く察知して、子どもを守るために様々なことを学び、動きながら現在に至りますが

    父親はと言えば、何が起こっているかは分かっていても、忙しさもあってか、それは母親に任せたというパターンが多いのではと思います。

    母親は我が子を守るために、アンテナを張り巡らせ、様々なことを学んできました。

    同じような考えの人と出会い、情報を交換して、保養にも出かけることにもなり、保養先では様々な刺激的な出会いもあったり、知らなかった世界を知ることにもなり、新たな自分も発見したことでしょう。

    学校とのやり取りは、心身共に疲れるもので、母親ひとりにかかるプレッシャーは、相当なものであったと思います。

    いろんなことを乗り越えながら、新たな出会いも重ね、あれから2年の間に、私たちは本当に様々なことを経験することとなりました。

    今まで大切だと思ってきたことがどうでもよくなったり、今までお付き合いをして来た相手が、今となっては全く心の通わない相手になってしまったり・・・

    あの日を境に、私たちは、いろんなことが変わってしまいました。

    目には見えない放射能というものが見せてくれたものは、悲しみや苦しみを超えた絶望でしたが、そういった圧倒的なダメージから得たものもあり、それは、『ここにしかないリアル』ではないかと、そんな風に感じます。

    『ここにしかないリアル』以外は何を見ても何を聞いてもリアルとは思えず、すべてが嘘っぱちにしか思えない。

    ほんとに全てが変わってしまいました。

    そんな絶望を手に入れた私たちは、子どもを守るためには時に鬼になることもあり、望まない戦いをすることにもなってしまいました。

    平和を願えばこそ戦わなければならないという悲しみは、言葉に表せるものではありません。

    このようなことは、想定もしていなかったことでしたが、原発事故という出来事は、私たちを鬼に変えてしまったのです。

    鬼という定義はいろいろあると思いますが、気がつけば鬼に仕立て上げられたという表現が、今はしっくりときています。

    人と違うことを言えば好奇の目で見られ、分断を恐れず主張する姿は強い存在として脅威とされ、気がつけば、私たちが恐れる対象はどんどん少なくなって、その間には涙も枯れ果ててしまいました。

    母親が子どもを守りたいという思いを覆すことは、とても難しいことでしょう。

    なぜなら、そこにはなんの見返りを期待することもない、圧倒的な母性というものが存在しているからです。

    変わってしまった妻のことを理解できない夫たちは、必死でもとに戻そうと、あの手この手で脅しをかけてきますが、私たちはもう、そんなものに怯えるほど弱くはありません。

    我が子のことだけ守っていろという父親の言葉に幻滅し、その世界の狭さに愛想を尽かしていきます。

    あなたの子どもを守るためには、全ての子どもを守らなければならないという意味を理解できず、気がつけば遠いところに行ってしまった妻を相手に、悪あがきを続けるのです。

    厳しい表現を使ってしまいますが、本当にそのようなことが起こっており、共に子どもを守ろうと奮闘しているママが、そのようなところに立たされてしまっている時には、枯れてしまったはずの涙がこみ上げます。

    向いているところが違うということに気づきながら、これ以上がっかりさせないで下さいと、夫の言動になるべく意識を向けないようにしているということは、今は内緒にしておかなければなりません。

    離れてしまった心、冷えてしまった心は、なかなかもとには戻りません。

    離婚が増えているというのは、妻が夫にがっかりしてしまった気持ちを、修復させることができなかったという結果です。

    子どもを守る母親をサポートできない夫の姿は、本当に哀れなものです。

    世のお父さんたちには、妻の本質をきちんと見つめて頂きたいのです。

    保養に子どもを連れて行きたいと言えば、『俺の飯はどうするんだ』という、聞きたくはなかった言葉が返ってきたり、寂しさを我慢できないという理由で、反対をされるという話も耳にします。

    最後の決め手は『誰の稼いだ金だと思っているんだ』というセリフであり、そんな言葉を言われた時には、最後の鐘が鳴ってしまいます。

    今まで経験したことのなかった様々なことを受け入れることは難しいかもしれませんが、もしもあなたの妻が母親として鈍感で、絶体絶命の瞬間に子どもを守ろうとしない母親であったなら、あなたは妻を愛すことができますか?

    どうか、ご自分の妻を誇りに思って下さい。

    あなたの愛する人は、素晴らしい母親です。

    お父さん、どうかお母さんを支えて下さい。

    戦うことになど慣れてはいないのに、子どもを守るために必死で戦っている妻を、『よく頑張っているね』と、労ってはもらえませんか?

    お母さんたちはあの日から、肩には力が入りっぱなしです。

    せめてパートナーに頼ることができたなら、その疲れもきっと和らぐことでしょう。

    お父さん、どうか、お願い致します。



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