あれから間もなく3年が経とうとしています。
原発事故の被害を訴えることができないまま、大丈夫だと言わなければ進まない経済復興の中で、大人たちは大切なものを見失いながら、とうとう子どもたちに被曝の可能性を強要してまで風評被害を払しょくしようというクレージーな状況を生み出して来ました。
子どもたちの給食で食べさせて風評被害の払しょくを。
議会でも、このような声が上がっており、その声は優勢だというこの原発事故被災地の現状を、世界はどのように見るのでしょうか。
原発事故という終わりのない理不尽さを突きつけられ、押し付けられてしまったあまりの問題の大きさに、人々は途方に暮れています。
みんなが被害者でありながら、それぞれが誤った対立構造の中に立たされてしまい、その結果、汚染の可能性があったとしても大丈夫だと言わなければならなくなり、それを子どもたちに食べてもらうことが復興の力になるという事態を生み出しました。
子どもは大人よりも放射能の影響を受けやすいので、予防原則の最善を尽くして守りたいというのが私たちの思いです。
原発事故の問題をどのように捉えるか。
まさに今3年の節目を迎え、報道機関各社はかなり熱心にここでの取材を行っています。
番組としてインパクトのあるものは、健康被害についての実態であったり、立場によって異なる人々の苦悩なのかもしれません。
子どもたちを守るために今真っ先に取り組まなければならない問題というものは、置き去りにされたままです。
実害を認めず、子どもたちが食べているほど安全なのだというPRをしなければできない復興は、原発の構図が生み出した悲しい現実です。
そのシステムから脱け出すことを選択せず、安全神話を復活させることを選択してしまった原発事故被災地。
本当に、これでいいのでしょうか・・・
放射能の影響は、不安に思う心の問題とされ、今にも蓋をされてしまいそうです。
本当に、これでいいのでしょうか・・・
私たちは、問い続けます。