スポンサーサイト

  • 2020.01.28 Tuesday

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 0
    • -
    • -
    • -

    原発事故の果てにある世界

    • 2014.01.31 Friday
    • 09:00
    あれからもう3年も経つのだから、もうそろそろいいだろう・・・

    このような根拠のない言葉が生まれるのは、初めての事態だからこそのことだと思います。

    いや、あの時、あんなにも大変なことになったのだから、気を許してはいけない、侮ってはいけないと、誰かが証明してくれるのなら、私たちはどれほどの荷を下ろすことができるかと思う日々です。

    チェルノブイリの事故と照らし合わせて、今起こっていることを慎重に見るのか、楽観視するのかは、どこの被害を見ているかによっても異なります。

    同じように隠ぺいはあったと、これまでお会いした、当時のことを知るみなさんが、そうおっしゃいます。

    私たちは思い出さなければならないのだと思います。

    情報というものはいつも後出しで、まずは安心させるような発表が大々的に出され、やはり違っていた、誤りがあったということは、こっそりと小さく訂正文が入るということを。

    それによって、多くの痛みを受けてしまったという自覚を、どれだけの人々が持てるのかは、今となっては個人個人の問題として、責任を放棄され、投げ出されてしまっている状態です。

    事故直後にどのようなことを思い、なにが大切かということを見つめ、実際にどのような行動を起こしたかということは、あの惨状の中で見えた尊い光でした。

    時間が経ち、方向性には様々な変化が生まれ、あの時と今を比較したら、随分と異なってしまったものが見えているのではないでしょうか。

    何を持ってもう大丈夫だと言えるのか、その根拠はそれぞれだと思いますが、子どもの未来を預かる私たちは、分からないことに対して大丈夫などとは言えないのです。

    分からないことを分かると言ってしまった先に、もしものことがあったなら、さかのぼって取り消すことなどできません。

    母親たちが、子どもを安心して預けることができないと言いながら、保育園へ入れるべきかどうかを迷っているという現実に、悲しみを覚えます。

    根拠は国の基準だと言われても、その基準がどう責任をとってくれるのでしょうか。

    線引きや指針がなければ、対応にも困ってしまうので、それに従わざるを得ないことでもあるのでしょうが、そこに加えた最善の配慮が感じられないということが、子どもを育てる母親たちに、冷たい世の中であると感じさせてしまっていることに、目を向けなければならないのだと思います。

    安心して子どもを育てることができる社会とは、どんな社会なのでしょうか。

    原発事故が起こったことを、どれだけ重要視して、その仕組みがつくられていくのかは、今まさに試されていることです。

    具体的な「子どもたちのために」という動きとは、どんなことなのでしょうか。

    言葉にして話すことは簡単だと思いますが、その中に、どれだけの具体的なことが含まれているのかを見た時に、残念ながらそうではない場合がほとんどです。

    何を持って「子どもたちのために」というキャッチコピーを使っているのかと思うような根拠のないサポートに、「なにを?」「どうやって?」という突っ込みが、いちいち入ってしまうのは、事故直後からのことです。

    放射能の問題に向き合わずして、子どもの未来は語れない現実が、そこには含まれているのかどうか。

    その線引きは、「分からない事態」を前提にしてのことなのか。

    私たちは、この中に居ながら、全体がどんどん楽観的なところに向かってしまっている様子を、じっと見つめています。

    歴史においての生き証人として、原発事故の果てにある構造を、見つめています。

    同じことをずっと言い続けることには、多くのエネルギーを要します。

    なぜ向き合い続けるのかと言えば、放棄などできないからというシンプルな思いです。

    目をそらさずに、痛みを感じながらも、初めてのことの中に立たされている私たちは、今の動きを見つめる必要があるのだと思っています。

    子どもたちは自ら身を守ることができません。

    大人たちが環境を整えてあげなければ、原発事故があったことなど意識せず、子どもとしての当たり前の、好奇心にあふれた行動をとるものです。

    それが本来の姿であり、放射能におびえながら過ごしてほしいなどと私たちは思ってはいないのです。

    守る体制が整っていれば、子どもらしくのびのびと過ごしてほしいと、心から願っています。

    風の強い日にはマスクを着けるように、土を口に入れないように、触ったら手を洗うように教えたいのだけれど、どうやってそれを教えたらいいのだろう・・・

    まだ言葉も話せないような年令であったり、うまく理解ができない年令のお子さんを抱えたママたちが、途方に暮れています。

    子どもを預けて働かなければならないのに、保育園にいろんなお願いをすることで、この子が「あの親の子」「うるさい親の子」という扱いを受けてしまったらどうしよう・・・

    最善のことを尽くして守りたいのに、体制はどんどん楽観視しながら守ることをしなくなってきている。

    お願いしたいのに、そのためには、親としての責任と、それによって生じる子どもへの心配とを天秤にかけなければならない・・・

    これが、原発事故によって浮かび上がっていながらも、どんどん蓋をされている問題です。

    私たちが今、生きている間に、子どもたちにしてあげられることはなんなのか、なにを残してあげられるのかと、考える日々です。

    子どもたちの未来のために、なにを残すのか。

    それは、痛みを感じれば感じるほど、おのずと見えてくることだとは思いますが、残念ながら今の様子は、何世代も先のことまで考慮した動きではないと感じます。

    私たちは、子どもたちに何を残すことができるのでしょうか。

    この問いかけは、きっとこれからもずっと抱き続けながら、私たちは人生を歩んでいくのだと思います。

    原発事故という事態を、どのように捉えるのか。

    子どもたちの未来につながることとして、先のことをどれだけ見つめることができるのか。

    そして、今をどのように生きるのか。

    生きながら、感じたことを伝えていくことも、私たちが担う役割であると思っています。







     

    PR

    calendar

    S M T W T F S
       1234
    567891011
    12131415161718
    19202122232425
    2627282930  
    << April 2020 >>

    selected entries

    categories

    archives

    recommend

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM